つばきと一色徳保がいた時代。等身大の自分を探していた世代。
スリーピースロックバンド『つばき』のギターボーカル、一色徳保が亡くなった。脳腫瘍で闘病しながらも音楽活動を続けていた様子は、同じく脳腫瘍で亡くなったBOOM BOOM SATELLITESの川島道行と重なる。どちらもミュージシャンに愛され、リスナーに愛され、最後まで病気と闘い、音楽に寄り添い続けたボーカリストであり、ソングライターだった。
つばきは2000年結成、2002年にインディーズデビュー。今では死語どころか蔑称として使われることもあるが、「下北系」の黄金期に一際輝きを見せていたバンドだ。僕は大いなる敬意を持って、つばきを最高の下北系ギターロックバンドと呼びたい。
今日は彼らの楽曲を紹介しながら、つばきの思い出話をする。きっと、つばきを好きな人は今、彼らについて話したいはずなんだ。僕もそうだ。だから、みんなそうすればいい。個人を偲ぶのは、ただそれだけでいい。
初期の名曲『雨音』『青』『猫』
最初のインディーズ時代のつばきは、世の中に対する絶望を歌いながら、希望を探しているバンドだった。彼らの音楽は、現実の厳しさを感じ始めた若者の心に、見事に刺さった。
「内向的」「焦燥感」「等身大」……そんな言葉で表現できるだろうか。自分の決して華やかではなかった青春を、無理やり思い起こさせるような音楽だった。爽快ではないが、暗すぎるわけでもない。それがつばきの魅力だった。
「轢かれて死んだ猫と自分は同じだ」なんてことを当時24歳の青年が歌うのだ。自分には何もない、これからどうしたらいいかわからない、そんなことばかり考えて過ごしていた僕が、共感できないはずもなかった。
中期の名曲『昨日の風』『花火』
メジャー時代のつばきは、大人になった。メジャーデビュー曲の『昨日の風』で「それまでのつばき」を総括。彼らは確実に前に進んでいた。自分はどうだろう。彼らと一緒に前に進めていただろうか。
ストリングスなんかも入れちゃって、君が不安ならそばにいるよなんてこと歌ってさ。あの頃にはもう戻れないけど、前に進むしかないってわかってるけど、それでも悲しいじゃないか。泣かせるなよ。
自分のちっぽけさを自覚した人間は、強い。弱さを受け入れた人間は、強い。この頃のつばきはまさにそうだった。
彼らのライブで、絶対に忘れられない思い出がある。ROCK IN JAPAN FESTIVAL 2005、サウンドオブフォレストステージ。今思えば信じられないが、RADWIMPSとYUIに挟まれての出演だったつばき。一色が「みなさんに風を贈りたいと思います」と言った瞬間、それまで無風だったサウンドオブフォレストに風が吹いた。
つばきの歌詞には「風」がよく使われる。「雨」や「夢」も。それらはときに追い風になったり、向かい風になったり、凪いだり、どしゃぶりだったり、霧雨だったり、悪夢だったり、希望だったりする。そのときのサウンドオブフォレストにおいて、つばきの「風」は「奇跡」だった。
後期の名曲『覚めた生活』『光』『ないものねだり』
再びのインディーズ時代。後期という言い方は、一色が発病してからと定義するべきかもしれないが、メジャーからインディーズに戻った2008年からとさせてもらう。
真意は本人に聞かなければわからないけれど(そしてそれはもう永遠に叶わないけれど)、『覚めた生活』は、メジャーで闘いきれなかった自分の力のなさを歌っているように感じた。デビュー時からつばきを追ってきたファンも、そろそろ仕事で失敗や挫折を経験する頃だ。つばきはいつも、等身大の自分自身を映す鏡のようなバンドだった。
人生において、何かを諦めたり、妥協したり、見えないフリをしたりすることはとても大事だ。全て理想通りにいくことなんて絶対にない。「それでももがきながら進む」つばきは一貫して、それだけを歌っている。
『ないものねだり』といえば真っ先にKANA-BOONが思い浮かぶだろうが、つばきの『ないものねだり』だって名曲だ。渋谷クラブクアトロでのライブ映像。病気の影響でステージ上ではギターを弾かなくなったが、その手持ち無沙汰な佇まいは、必死で、力強くて。
つばきフレンズが歌う『太陽』
2017年1月19日、つばきの最後のライブ、最後に歌われた『太陽』。ミュージシャン仲間が「一色が療養している間にもつばきを鳴らそう」と結成されたつばきフレンズが、この曲をカバーしている。
なんだか、歌詞が遺言のように聞こえてくる。夜は越えられる。僕たちの心の中の一色は、つばきは、ずっと歌い続けていく。
Best early collection2002-2004
- アーティスト: つばき
- 出版社/メーカー: おもちゃ工房
- 発売日: 2007/11/21
- メディア: CD
- クリック: 3回
- この商品を含むブログ (15件) を見る